Karenのブログ

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【幼小中高時代】リケジョになるまで -Part1-【受験】

かれんです。
7/1から1カ月間は“毎日ブログ更新”を目標にちょっと頑張ってみようと思います。

この1カ月で書いてみたい内容はたくさんあって、
1. 留学
2. 就活
3. 将来
4. 大学生活
とかかなと思います。自分の経験を踏まえつつ、Tipsとかも入れていきたい。

こんな個人的な話、誰かがどこかで読んでくれているかもしれないし、読んでないかもしれないけど、書きたいから書く!!!

まずはどれを伝えるにあたっても必要になる幼少期〜中高時代の話、
「なぜリケジョを選んだのか」というお話から。本日はPart1!

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幼少期

私は3歳半で日本に帰国し保育園も幼稚園もいかず、家にいた。
母親はよく遊んでくれたが、それ以外の時間は一人で公園で遊ぶか、親の持っていたビデオを見漁っていた。ロビンウィリアムズ主演のジュマンジジュラシックパークとかディズニー作品をよく見ていた。今思うとファンタジー映画やSF映画への興味はこのときから自然とあったのかもしれない。

小学校時代

小3でなんとなく塾に行きたくて
「塾に行きたい」
と言って夏期講習テストを受けた。このとき成績が良く、特待生になれたのがきっかけで、中学受験をすることにした。

なんで「塾に行きたい」なんて言ったのか?
これは未だにわからないが、家では親の見る映画以外の、アニメ、漫画やゲームはほとんど禁止されていたのでやることがなかったのかもしれない。(家のビデオは小学校までに見尽くした...)今ならスポーツとか音楽とかに励めばよいと思うのだが、当時の小学生の私には勉強しかなかったらしい。習っていたピアノと水泳はやめ、勉強していた。ちなみに当時百ます計算が趣味だった...おかげで(?)今も勉強は嫌いじゃない。

この時から私はなぜか算数と理科が得意だった。正直中学受験は環境が一番重要だと思っていて、その子に合うベストな解法や印象的な解説をしてくれる先生がその時にいるかいないか、だけだと思う。私はたまたまいい先生に出会えて、そのおかげで順調に進んでいた気がする。今でも一番印象に残っている先生は算数のF先生。F先生は、小学生の私でもプロフェッショナルを感じざるを得ない、すごい先生だった。彼に認められたい、という思いは私の算数のやる気を燃え立たせていたような気がする。

そんな感じで一時期スランプに陥ったりもしたが順調に小6まで持ち越し、第一志望の中高一貫校に行けた。

ちなみにこの時の私はすごく社会問題を気にしていた。当時小児科医の数が減少していて大変、というドキュメンタリーを見たのがきっかけで、小児科医になるのが夢だった。

中学時代

きっと頭が良い人が集まっているんだろうと思っていたら、本当にその通りだった。しかもみんな勉強以外にもできる。スポーツやら音楽やら。帰国子女も多かったので英語がめちゃくちゃしゃべれる人もいる。中学時代の平凡な自分には結構悩みも多くて、なんとかして自分にもみんなのような勉強+αが欲しくて仕方なかった。

まずは普通の中学生と同じようになるためドラマ、音楽番組、テレビだけでなくいろんなジャンルの映画を見まくった。中2くらいからは勉強そっちのけで音楽を聴いていた。当時は邦楽だったが、あの時の熱心さは気持ち悪い。その日にリリースされる有名どころアーティストの楽曲は必ずまとめサイトでチェックしていた。中3では洋楽にハマり、英語を覚えたい、と思った。しかし当時の英語の出来なささは異常で、周りがとてつもなくできるようになる中、私は一番下のクラスにいた。ほかの勉強も普通だった気がする。勉強はしなくても洋楽さえ聞けば英語は覚えると思っていた。というか、勉強せずに洋楽で英語を覚えようと努力していた。アコースティックギターも独学で弾いていたので、洋楽をこっそりカバーして録音して練習していた。

こんな感じで勉強よりも音楽にどっぷりハマり、小児科医なんぞ完全に忘れて、ミュージシャンになりたい、とひそかに思っていた。恥ずかしくて誰にも言えなかったが...

高校時代

ここで英語をどうにかしたくて塾に通わせてもらった。自分で塾を調べて、いろんな塾を見に行って決めた。この1年間みっちり英語を勉強したおかげで、一通りの文法は身に着いた。学校でのクラスも一番上に上がった。正直今まで英語ができなかった理由は、勉強の仕方を知らなかったからだった。この時も私はすごく印象的な先生に出会うことができた。当時高校1年生の私にSteve JobsのStay Hungry, Stay Foolishのスピーチを読ませてきたS先生だ。このS先生のおかげで、ただ英語しゃべりたい!という感情だけでなく、英語って面白い!と思うことができた。ただ1年たって、勉強の仕方を知ってしまった私は退塾した。私に塾はもういらなかった。

文理選択がやってきた。とりあえず理系であることになぜか迷いはなかった。当時は別に理系科目もできたわけではなかったのだが、まあ頑張ればいいか、という気持ちだった。ちなみに大好きだった英語を専門にするのは、最初から選択肢になかった。私にとって英語はあくまでも好きなものを知るためのツールだった。

しかし理系に決めたはいいものの、具体的にどの分野に行くかは決めていなかった。この時の私は既に、ミュージシャンになる才能がないことに気づいていたので、音楽に携われそうな理系なら何でもよい、とも思っていた。また幼少期によく見ていたおかげでSF映画も好きだったのでそっちでもいいかも~という安直な気持ちであった。ただどちらにせよ技術面で関わりたい、という気持ちが強かったのはたしかである。多分これは自分に残された“好きなものに何とかして関わる道”は、それしかないとなんとなく気づいていたのかもしれない。

受験が近づくにつれて、“音響”という分野を知った。これは音楽にも映画にも携われそうだし、面白そうだ!と決め、音響が学べそうな大学を受験することにした。

 

Part2へ続く

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